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小林 俊彦(こばやし としひこ、1965年3月26日 - )は地方競馬・水沢競馬場所属の調教師、元騎手。岩手競馬の元調教師・小林長治は実父。 == 来歴・人物 == 水沢市(現奥州市)出身。父が調教師だったこともあり、父の厩舎の所属騎手として1982年10月16日デビュー。デビュー年は未勝利に終わり、その後も20-30勝程度の地味な成績だったが、デビュー7年目の1989年に53勝を挙げると、翌1990年ミタケエルセンで東北優駿を制し重賞初制覇するなど79勝。 翌年からは毎年100勝台に乗せ、アラブの強豪馬やモリユウプリンスの主戦騎手として重賞を勝ちまくり、岩手競馬の顔と言える存在になったが、騎手リーディングは菅原勲の厚い壁に阻まれて2・3位に甘んじていた。 1997年、父であり所属厩舎の調教師である小林長治の死去に伴い、小林義明厩舎へ移籍。 デビュー17年目の1998年9月12日、JRA札幌競馬の2歳500万下にてアプローズラインでJRA初勝利を挙げるなど186勝を上げ、念願のリーディングジョッキーの座に輝き、そこからは菅原勲と毎年、リーディングジョッキーの座の激しい奪い合いが続けられている。 2002年8月10日JRA新潟競馬の瓢湖特別でJRAの特別戦初勝利、続く2002年8月24日のJRA新潟競馬では特別1勝を含む3勝の好成績を挙げるなどJRAでも高い実力を見せている。 また、ダートグレード競走では1997年クラスターカップでユーコーマイケルでハナ差2着など2着3着といった惜しいレースはいくつかあり、なかなか1着が獲れなかったが、2006年10月12日に旭川競馬場で行われたエーデルワイス賞をパラダイスフラワーで制してダートグレード競走初勝利。この年の年度末に騎手リーディング1位だった菅原勲が欠場、その間に逆転し、2004年から2006年にかけて3年連続リーディングジョッキーの座に輝いた。 2007年12月1日水沢競馬8Rで、地方競馬通算3000勝を達成。2009年12月、日本プロスポーツ大賞功労賞受賞。2011年5月16日盛岡競馬2Rで、地方競馬通算3500勝を達成。 2015年、平成26年度第4回調教師免許試験に合格し、同年3月31日付けで調教師に転身した。 騎手としての通算成績は地方18791戦3788勝、中央65戦5勝。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小林俊彦 (競馬)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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